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福岡高等裁判所 昭和32年(う)1665号 判決 1958年5月20日

控訴人 原審弁護人 本田義男

被告人 明午慶三

検察官 青山良三

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

弁護人本田義男が陳述した控訴趣意は記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意書記載のとおりであるからこれを引用する。

右控訴趣意について、

原判示第二の(一)乃至(一九)は判示稍明瞭を欠く嫌があるが、原判決は挙示の関係証拠により被告人は熊本県漁業信用基金協会の専務理事として原判決冒頭記載の事務を処理していたものであるが、原判示第二(一)乃至(一九)記載のとおり自己又は第三者の利益を図る目的で任務に背いて熊本県漁業信用基金協会名義をもつて原判示各債権者より金員を借り受け、又は原判示協会員たる第三者が借り受けた債務の引受をなし、これ等の債務担保のため、若しくは原判示協会員たる第三者の債務担保のため、協会所有の原判示各定期預金債権証書を各債権者を差し入れ、もつて同各預金債権につき権利質を設定し、よつて同協会に対し右各預金債権証書額面相当の損害を与えたものである。と認定したものであることを認めることができる。従つて原判示第二(一)乃至(一九)の全部に亘り被告人が熊本県漁業信用基金協会名義をもつて金借したもののごとく主張する論旨は肯綮に当らない。

次に被告人の熊本県漁業信用基金協会(以下協会と略称する)名義をもつてした各債務負担行為及び担保設定行為の効力について考えてみるに、原判決の挙示した関係証拠及び中小漁業融資保証法第一条、第三条によると、協会は中小漁業者の漁業経営に必要な資金の融通を円滑にするため金融機関の中小漁業者等に対する貸付について漁業信用基金協会がその債務を保証し、且つ、その保証につき政府が保険を行う制度を確立し、もつて中小漁業の振興を図ることを目的として制定された中小漁業融資保証法に基いて昭和二八年八月四日設立された法人であることが明らかである。ところで中小漁業融資保証法(以下法と略称する)同法施行令(以下令と略称する)右協会の定款及び業務方法書(右定款と業務方法書はその写を当審において取り調べたが、いずれも原本と同一であるから以下定款等と称する)を検するに、協会の行う業務は一、イ、会員たる漁業協同組合がその組合員たる中小漁業者に対しその漁業経営に必要な資金を貸付けるために必要な資金。ロ、会員たる中小漁業者がその漁業を経営するために必要な資金。ハ、右イ及びロに掲げるものを除く外会員たる水産業協同組合がその事業を行うために必要な資金の各借入による金融機関(令第一条により農林中央金庫、信用漁業協同組合連合会、銀行、信用金庫に限る)に対する会員の債務の保証。二、法第七七条第二項の規定により政府から委託を受けて行うその代位した求償権の行使の業務。並びに三、右各業務に附帯する業務とされており、(法第四条、定款第二条)協会の運営は一定資格を有する会員の総額金一千万円を下らない漁業権債券又は現金による出資(会員は一口金五万円の出資一口以上を有しなければならないし、その出資は全額払とし、会員は出資の払込について相殺をもつて協会に対抗することはできない。)による財産を基礎としてなされ、(法第一一条、令第二三条、定款一七条、一八条)又協会の余裕金については定款で定める金融機関への預金。国債証券、地方債券又は定款で定める金融機関の発行する債券(農林債券)の保有以外の方法により運用してはならないとされ、(法第四二条、定款三五条)又毎事業年度の剰余金の全部は積み立てねばならないし、これは損失のてん補に充てる場合を除いては取りくずしてはならないとされている。(法第四四条、定款第三六条)更に政府は会計年度の半期ごとに協会とあらかじめ一定の金額を定めて包括的に契約を結び、その範囲内で協会が保証をしたことを政府に通知することにより、その保証について保険関係が成立し、(法第七〇条)被保険人が弁済期限又は期限の利益を喪失した日から六月を経た後なおその債務の全部又は一部を履行しない場合において金融機関の請求があつたときは協会は該金融機関に対し直ちに保証債務を弁済し、(業務方法書第三〇条)この日から三月経過後で一年三月経過前までに政府は協会の請求により協会が求償権を行使して取得した額を控除した残額に一定率を乗じた額を保険金として協会に支払うが、(法第七二条、第七三条)協会はその業務又は財産状況、会計状況等について主務大臣(その権限の一部は都道府県知事に委任されている)の監督を受けている。(法第六五条乃至第六七条、令第二三条の二)叙上のごとく協会は法令、定款、業務方法書及び行政庁の監督の制約の下におかれているのであつて、その設立目的、業務内容、運営管理の特殊性、設立目的を全うさせるための国の経営に対する保証並びに行政庁の監督等に照らして考えると、協会は前記協会の業務に附随する業務に関するものと認められる範囲のものを除き、他から金員を借り受け、又は第三者のため債務の引受をなすがごときは協会の業務の範囲外の行為であるというベく、又協会の業務の一として定められている金融機関に対する会員の債務の保証とは会員の債務についてのいわゆる人的担保たる保証をいい、該保証中には協会の財産権について質権等を設定するがごときいわゆる物的担保を包含するものでないと解するのを相当とする。けだし、協会が会員たる中小漁業者等の金融機関からの融資のため協会の財産権を担保に供するがごときは協会の基礎を危くしひいてはその設立目的に反するが故である。従つて協会がその会員たる中小漁業者の金融機関からの融資のため協会の財産権を担保に供することも亦協会の業務の範囲外の行為というべきであるから、以上のごとき金員を借り受けること又は第三者のため債務の引受をすること、若しくは協会の財産権を担保に供することは、いずれも法律上無効の行為といわなければならない。してみると、被告人が本件協会の専務理事として協会を代表して原判示のごとく金銭消費貸借契約を締結して金品を借り受け、又は会員たる第三者のため債務の引受をなし、若しくは右のごとき債務或は会員たる第三者の負担する債務を担保するため協会所有の定期預金債権につき質権設定契約をなすがごときは、いずれも協会の業務の目的を逸脱した行為にして無効というべくなお質権は担保物権の一種としていわゆる付従性を有するから被担保債権が契約の無効により効力を生じないときはこれを担保すべき質権も亦その存在理由を失つてその効力を生じないので原判示の金銭消費貸借契約上の債務及び第三者のため債務の引受をなし、同債務担保のためにした質権設定契約はこの点からも無効といわなければならない。

ところで右のように質権設定契約が無効なる場合、該設定契約により協会に損害を加えるか否かにつき考えるに、質権設定契約が無効であれば該契約当事者乃至は被担保債権関係当事者間においては質権設定に基く権利関係は発生しないこととなるが、右のごとき質権設定契約をなし、債権証書を質権者に交付した場合、策三者に対し有する正当な債権又は既に無効に帰した消費貸借上の債権若しくは債務の引受のなされた債権の各質権者はこれ等の債権並びに質権の目的となつた右定期預金債権の弁済期がそれぞれ共に到来するにおいては、後者の定期預金債権の取り立てをなし、これを前者の自己の債権に充当するの危険が発生する。かような危険性はすなわち協会に対し、質権の目的となつた定期預金債権証書の額面につき被担保債権額を限度として損害を与えるものというべきである。論旨は右定期預金債権証書は一種の証憑書類であつて有価証券ではないからこれが交付を受けた者において預金返還請求権を取得するいわれがなく、協会は現在本件定期預金債権証書の所持人に対しその引渡を求める訴を提起中であり、これが返還を受けるにおいては協会は該預金証書記載の金額の預金の払戻を受け得られるので協会には何等の損害を及ぼすものではないと主張するが、原判決が所論定期預金債権証書を質権者に対し単なる証憑として交付したことを認定したものでないことは原判文に徴し極めて明瞭にして、原判決が同債権につき権利質を設定したものであることを認定した趣旨であることは既に説示したとおりであるし、なお原判決の挙示した関係証拠並びに当審における被告人の供述によれば本件関係質権者は既に本件消費貸借に基く債権と、協会の該質権者たる金融機関に対する定期預金債権とを対当額において相殺をしており、又質権者中にはその質権の目的たる定期預金債権の取り立てをなし、これを自己の債権に充当したもののあることが認められ、協会は既に現実に損害を受けていることが明らかである。尤も質権設定契約が無効であるから質権設定者たる協会には右の各債権者に対し不当利得返還請求権が発生することとなるが、しかし、それはとりもなおさず質権設定のため生じた損害を前提として協会が取得した権利に外ならないのである。すると協会の専務理事が自己又は第三者の利益を図る目的をもつて協会所有の債権につき質権を設定し、質権者に対しその債権証書を交付した以上、それが法律上無効であつても協会に対し財産上の損害を加えたものということができるから被告人の本件行為については背任罪の成立することは論を俟たない。従つて被告人の原判示所為を認定しこれを背任罪に問擬した原判決は正当にして、原判決には所論のごとき事実の誤認はない。論旨は理由がない。

なお本件控訴申立書によれば、不服の理由として更に科刑過重を掲げているが、本件記録並びに原裁判所において取り調べた証拠に現われている諸般の情状に鑑みると、原判決の被告人に対する科刑は相当と認められるので、この点の論旨も理由がない。

そこで刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は刑事訴訟法第一八一条第一項本文に従い全部被告人をして負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 藤井亮 裁判官 中村荘十郎 裁判官 生田謙二)

弁護人本田義男の控訴趣意

一、原判決が罪となるべき事実として摘示する事実中第二(一)乃至(一九)の事実はいずれも被告人が他人(銀行其の他の会社)より熊本県漁業信用基金協会名義を以つて自己の利益を図る目的で金品を借り受けその担保の目的を以つて右協会の銀行に対する定期預金証書を交付しよつて交付したる定期預金証書の額面額に相当する損害を前記協会に与えた。と認定されたが、

二、右認定事実中被告人が自己の利益を図り他より協会の名を以て金品を借り入れたこと及その担保として協会が預金者として交付を受け保有していた定期預金証書を貸主に交付した事実は争いません。

三、併し右の事実によつて、協会が定期預金証書記載金額相当の損害を受けた事実はありません。その理由は(イ)協会は営利法人でなく公益法人でありその行為能力の範囲は法律の規定即ち中小漁業融資保証法第四条第一項の制限列挙事項以外に法律行為能力がない。従つて被告人が協会の名を以つてした消費貸借契約は無効であります。その詳細については弁護人が原審で提出した「準備書面」と題する書面に記載した通りでありますから之を援用します。現在被告人が協会の名を以つて金を借りたためその貸主は協会に対し貸金請求の訴を、熊本地方裁判所に提訴したので協会は之れに応訴し現在審理中であります。(ロ)銀行に定期預金をしたために銀行より受領した定期預金証書は一種の証憑書類であつて有価証券でないことは極めて明瞭であります。従つてその交付を受けた者が、預金返還請求の債権を取得する訳でもありません。それで原判決摘示の定期預金は預金期間満了し且つ金員の貸主の手中にあるに拘らず、その入手の事情を知つた銀行はいづれも預金払戻しを拒否しているのであります。(ハ)これがため協会は現在定期預金証書の所持人に対しその引渡しを求むる訴を起し現在、熊本地方裁判所で審理中であります。これが返還を受ければ協会は当該証書記載金額の預金払戻を受け得られることは勿論であります。さすれば協会が被告人の行為によつて預金証書に記載金額の損害を受けたとは認められないことであります。

以上の理由に依り原判決は法理に背き損害の発生したことを、認定したもので背任罪構成要件の一つである財産上の損害を与えたことがないのに、これがある如く誤認したる判決でありますから原判決を取消し相当の御裁判あらんことを求めます。

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